偏見
偏見でものを見るのは良くない!と言われます。
確かにそう。偏った見方は、視野を広げる事を妨げます。
でも、なんにでも、偏見ってダメなんでしょうか。
世の中にはありとあらゆる情報が出回っています。
本当のこともあれば、真っ赤な嘘もあります。
例えば自分が求めている内容に当てはまる情報が、真っ赤な嘘だったとき
それを嘘だと見抜くために必要なのは、「これは絶対に違う」という偏見です。
偏った見方というのは、転じて言えば確固たる価値観。
柔軟な思考というのは、言い方を変えれば安定しない価値観。
柔軟なことを否定しているわけではありません。
ただ、ここぞという時、自分を信じて進むことができる根拠は、意外と自らが持つ「偏見」なんじゃないかって思ったりします。
最近おもしろいな、と思った言葉は「柔軟でなければならない!という偏見」
どうあるべきか?そんなの誰だってわかりません。人間、手広く構えたいときもあれば、どうしても譲りたくないときもあるものです。
自分は優柔不断だなって思ったことがあります。でも、自分って頑固だなって思った事もあるんです。
そんなとき疑問に感じました。あれ、これ結局どっちなんだ?って。
どっちでもないんです。人って、みんなそう。
嗚呼悩むだけ無駄。
偏見持って生きましょう。どうせ、ずっとそうってわけじゃないんだから。
勘違い
自分が抱える状況を、自分だけが悩んでいると思うと、実はそうでなかったり。
自分が何気なくできるからこんなの誰だってできる、と思うことが、やっぱり違ったり。
何かに対してイメージを持ったり、先入観を抱くその先に待っているのは、大概「勘違い」です。
最初はなんでそんなこと気づかなかったんだろう、恥ずかしいなんて思っていましたが、実はそうでもないんですよね。
人生、勘違いの繰り返しだと思います。何かに対して印象を抱いたり価値を見出だすと、後にそれが思い違いだった!と気づくことがとても多い。
でもそれでいいんです。
勘違いに気づけた分、人は多角的に物を見ます。
そんな一面もあったんだ!と理解した分、視野が広がります。
一番怖いのは、自分がしている「勘違い」に気づけていないのではないか、ということ。
間違った物の見方、一元的な見解だけで判断してないかと不安な毎日です。